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執筆者の写真neki neki

運転しなくなった訳

レンタル屋さんへ行くと「身分証は?」と聞かれ、 保険証を出すのが、非常に嫌やったので 運転免許を取得する事を思い付き、送迎バスで教習所へ通った。

ほんとは、それだけではない。 車酔いの激しい私は、いろんな人に「自分で運転すれば、酔わなくなる」 と言われ続け、教習所に通う決心をしたのだった。

車酔いの話は、別でするとして、ほんまに自分で運転なんてできるんやろか? という疑問がず~っと頭にこびりついていて、運転席に座るまで、 不安でしょうがなかった。

私が持ってる免許は、AT車限定。マニュアル車は、全くわからない。 教習所には、さまざまな年格好の人がいて、気分は学生さんである。 こういうのには、真面目に取り組む方なのだ。

AT車と、マニュアル車の組に分かれ、それぞれの教習が始まった。 マニュアル車の人達は、まず、ハンドル捌きの練習をしてはった。 それを、横目でみながら、ウチらは、速度のチェック。 時速10kmってのは、この位のスピードで、60kmになると、こうなります。 ってのが、遊園地のアトラクションみたいな100円入れたら、 動きそうな車に乗せられ、体験させられた。

意外と、60kmって早いのね~

と、全くスピードに関しても無知な私だった。 その日のうちに、それじゃぁ、乗ってみましょう。と、 運転席に強引に座らされるのだ。 いきなりなのだ。ハンドル捌きの練習はいいのか?? 何か忘れられてるんちゃうの??これ~? と思いながら、言われるがままに動く。

教習所の車は、スカイラインだった。 何か、新車やったらしく、ピカピカで、カッコイ~! 「エンジンをかけて下さい。」と言われ、ドキドキしながら… うわっ!かかったで~ こんな調子である。嘘みたいなのだ。私が運転するなんて…

広い教習所のグランドを何周もした。 直線道路も結構長いので、80km以上のスピードを出し、 急ブレーキをかけるというのも、やらされた。 毎回、手のひらがビショビショになる位、汗をかいた。

そのうち、教習所の教官にも、車にも慣れてきた頃、 教官「どうですか?まだ手に汗握ってますか?」 私「はい。まだどうも緊張します。」 私が、こう言うた途端、その教官は、お笑い芸人のごとく変身した。 リラックスさせようと頑張ってくれはったようだった。 元々、面白い人だったが。

しかし、逆に緊張するのだ。 一緒になって、笑ってると、絶対何か忘れてしまう。 教官「ほらね、こういう話には乗ったらアカンの!」 はぁ~~過酷や~こんなん…

一般道路に出ても、その教官は、面白い話に花を咲かせ、 「今日は、こっちの方へドライブしましょう」なんて、 思いっきり、楽しんでるご様子。 無事に教習所に戻ると、 「本日も楽しいドライブありがとうございました」と言われる。

その教官のお陰で、無事、仮免を取り、本免許も1回で取得できた。

さんざん、教習所で乗ってきた車は、新車のスカイライン。 助手席には、おもろいおっちゃんの教官がいて… そのシチュエーションから、離れるのが、淋しかった。 なぜなら、家の車は、軽だったから。 スカイラインは、車!って感じやったのに、 家の車は、ランドカーのような気がしてならない。

ひとまず、家の車で運転してみる事にした。 親戚のおっちゃんに乗ってもらい、後ろには妹も乗っていた。 京都の中心地を1周してみた。 車の幅が狭いので、意外と、小回りがきく事に気付く。 練習してるうちに、たくさん乗れるようになるかもしれない。 しかし、車庫入れができなかった。

ガレージの前の道路は、狭過ぎるのだ。 何回も挑戦したが、その度に「車庫入れ渋滞」を作ってしまう。 それを見兼ねた八百屋さんのおっちゃんが、いつも 「よしみちゃん、違うがな~!右!右!あ~あ~! そこでハンドル切ったらあかん!後ろ、車詰まってきたで~」 とまぁ、それはそれは人騒がせな車庫入れになってしまう。 結局、運転席に八百屋さんのおっちゃんが座り、 難無くガレージに入れてしまうというパターンだった。

「もう、ええ加減に入れられるようにせんと・・・」 何回言われた事だろう・・・ 何回言われても、出来ないもんは、出来ない。 感覚が全く掴めず、未だに出来ない。

そんなある日、おじいちゃんが、突然凄い事を言い出した。 「よしみ、老人会で学校まで行かなアカンし、送ってくれ」と。 うわっ!なんて無謀なおじいちゃん。 ウチの両親は、命が惜しいって言うて、助手席にも座ってくれた事 なかったのに、おじいちゃん自ら志願してきた。

ちょっと不安やったけど、おじいちゃんから何かを頼まれるって あんまりなかったから、嬉しくなり、「は~い」と素直な私。 まだ、運転歴が浅かったので、緊張しつつ、 「ほんじゃ、行ってくる~!行くで~おじいちゃん、発車!!」 ってな感じで、向かったのだった。

学校までは、あっちゅう間。 テクテク歩いて行かはるご老人の横を、サ~~~っと通り過ぎ、 いい場所に停車できた。

おじいちゃんは、ちょっと待っててくれって言うて、学校へ。 運転手って、こんな気分なんかぁ~と、その時初めて知った。 何やら、お土産のようなものを片手に持ち、おじいちゃんが学校から出てきた。 そばにいたおじいちゃんの知り合いのおばあちゃんに、 「あら~お孫さんに送り迎え?うらやましいわ~」と言われ、 おじいちゃんは、満足げな様子やった。

さ、帰ろ。 ここからは、車では初めてである。半ば緊張しながら、家に到着。

ウチの両親が心配して、お店の前で待ってた。 全く信用されていない事に、腹が立ったが、 おじいちゃんは帰った時、「安心して乗っていられたよ」って 言うてくれはった。嬉しかったなぁ~ほんまに嬉しかった。

嬉しかったのも束の間、車庫入れせんとアカン。 どうにもこうにもできず、やっぱりもがいてると、 八百屋のおっちゃんが、来てくれはった。

それからしばらく乗ってなかった。 ウチのお店を一部改造する事になり、改造の間の住まいが大変やった。 その頃、なぜか私は羽振りが良く、家から歩いて6,7分辺りの所に 部屋を借り、妹と二人で住んでいた。

妹にとっては、私も一緒ではあるが、部屋を持つ事が生まれて初めての事 だったので、1人楽しんでるようではあった。 可愛い妹の為、一度位、経験させてあげたいと思い、頑張った姉であった。

しかし、家の改造は、あっちゅう間に終了し、 数カ月で夢の暮らしは終わってしまった。 さて、たくさん持ってきてしまった荷物を、家に戻さなければいけない。 布団等は、車で運ぶしかない。

しょうがないな~運転するかぁ~ と、誰も何も言うてないのに、私、しゃしゃり出てしまった。 結構、順調に事は運んでいたのだ。 3回位、往復せんとアカンなぁ~と、妹と二人でワイワイ運んでいたのだが。

マンションの前の道路は、やっぱり狭く、駐車してると、後続車が来ても、 通れなくなる。ちょっと乗り上げておけば、ギリギリで通れるか~ マナーのいいドライバーのつもりやった。 ところが、乗り上げる時、エンジンの回転が下がっていて、勢いがつかず、 様子を見て、アクセルを踏み、すぐにブレーキを踏んだ! その瞬間、ゴリッ!と嫌な音がして、助手席の妹が一瞬飛んだ。 「え?」 私は、何が起こったのか、よくわからない。 思わず、アクセルを踏んでしまう。 しかし、前には、マンションの角がピタッとくっついてる。 うわ・・・ 隣を見ると、妹は顔が引きつっている。 「大丈夫かぁ?」と聞くと、「危なかった…」って一言だけ。

ひとまず、車から降りて見てみると、車は壁に突き刺さっている。 やってしまった・・・ 人をひいた訳ではないが、これは、かなり私にとって大事件やった。 マンションの壁は、頑丈で、少しだけ削れただけで、 大家さんも何も言わなかったので、助かったのだが、警察は冷たかった。

その後、すっかり運転したくなくなり、すぐに家に電話した。 父は、結構冷たかった。 「けがはせんかったんか?じゃ、気ぃつけて帰っておいで」と。 私「運転したくない」 父「じゃ、誰が運転するねん?仕事忙しいんや!気ぃつけてな、ガチャ」 はぁ~運転せんとあかんかぁ・・・トホホ

それから、一応最後まで、荷物を運ばないといけないので、 車の前がペコンと凹んだまま、トロトロ走った。 もう、今までの勢いは、全てなかったものになってしまった。

家に到着すると、町内のおっちゃんおばちゃん達の噂になってしまった。 どこへ買い物に出かけても「この間、事故ったんやって?」 と言われてしまう。 誰が、話を広めてるんかと思ったら、車を修理してくれはるおっちゃんやった。 修理代15万円。はぁ~アホや~

何よりも、妹がシートベルトをしてなかったら、絶対けがをしていた という位、飛び上がったのを見たので、かなり恐ろしくなったのだ。 それ以来、運転する気になれないのである。

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