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執筆者の写真neki neki

救急隊のお世話になる

小さい頃は、幼馴染みの家へ遊びに行く時は、ウチから飛び出し、 「○○ちゃ~~ん」って、まだ家の前まで行ってないのに、 大きい声で叫び、ダッシュしていた。

道路を横断する時は、右見て~左見て~… そんな事をする子ではなかった。 目的地に向かって一直線やった。

そんな私は、小学1年生の頃、交通事故に遭うた事がある。 私の足の上に、2人乗りのバイクのタイヤが乗ったのだ。

ビックリしたのと、何が起ったのか訳わからず、でも足は痛い! ワァ~~~~~!! 私の泣き声は、近所中に響いた。 泣き声だけは、大きい声なので、有名やったらしい。

タクシーで病院へ連れていってもらい、手当てをしてもらったが、 擦り傷2箇所で済んでしまった。私って頑丈…

そう、この時は、救急車呼ばず。 今なら、救急車を呼びそうなシーンの1つなのだが…

私が、救急車を呼んでしまったのは、中学生の頃。 家で、カレーを作る手伝いをしていて、玉ねぎを切っていた。 実家では、玉ねぎ入りの天ぷらを売っており、 よく母が刻んでいたのを横で見ていたので、 ちょっと真似したくなった。 非常に、心地いいリズムなのだ。

そんなのすぐできるわけがない。 和やかに、トントンやってたのだが、ある瞬間、グサッ!

やってしまった…

ちょっと、いつもと具合が違う。 わ~!血ぃや~! と、自分の血を見て、貧血を起こしてしまい、気持ち悪くなり、 起きあがれなくなったのだ。

指が痛いのよりも、気分が悪い。 最初、家族は、何や?何や?って見に来たが、 あぁ、指切ったんかぁとそれで終わってたのに、 私の様子が見る見るうちに変化したので、 救急車を呼んでもらった。

救急隊「立てますよね?救急車まで歩いて」 ねき「起きあがれへん」 救急隊「あかんかぁ、担架や、担架持ってこい」 ねき「うわぁ~あかん…」

実に難儀な奴っちゃ、ほんまにもう。

何とか、ゴロンと担架に乗り、エッサホイサと救急車へ。

近所のおばちゃんが、担架で運ばれている私を見て、 「よしみちゃんやん!どないしたん!?大丈夫かぁ?」 と、声をかけて来たのを覚えている。 そんな状態やのに、私ったら、頑張って笑ってみせてるのである。 こんな所で、愛想ふりまかんでええっちゅうの。

この後、又、一波瀾ある…

私は、小さい頃から車に弱い。 今は、大分改善されているが、調子が悪いと、すぐに酔ってしまう。 この時、救急車で酔ったのだ。 休日で、病院が見つからず、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、 振り回され、貧血も伴い、グルグル気持ち悪い。

ねき「すいません、気持ち悪・い・・」 救急隊「こんなとこで、吐きなさんなや」 と、袋を用意してくれた。

何とか、病院が見つかり、救急隊に一言お礼をし、 いよいよ、先生に診てもらった。 本当なら、縫わなきゃいけない位傷は深かったが、 縫うと跡が残るからって、テーピングで繋げてもらった。

救急隊、病院の先生、家族、近所のおばちゃん達、 たくさんの人にお世話になりました。

玉ねぎを切ると、いつも思い出す苦い記憶でした。

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