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執筆者の写真neki neki

初めての寮生活

生まれてはじめて、京都を出たのは、ある音楽学校へ行くため。 上京したくて、1年ちょっと頑張って働き、学校の試験にも受かって、 やったー!!東京へ行ける~!と嬉しいはずだったのだが、 私は、それまで一度も家から出た事がなかったので、 家を出てしばらくして、いきなりホームシックになってしまった。

理由は、たくさんある。

学校は、東急東横線の「日吉」駅付近にあるのだが、寮は東京の中野。 ちと遠い。 しかも、先着順に部屋を決めるらしく、私が入寮した時は、 1部屋しか空いてなかった。 この部屋の広さには、ピンからキリまであり、 大体広い所は6畳ほどだが、私が入った部屋は3畳ほどだった。 この差はなんだろうか? 事前の調査が甘かった。みんな同じ家賃やのに…

私の部屋には、机とベッドが備えてあり、 その他はもう何も置けない状態。 申し訳なさそうに、上の方に小さい窓があった。 牢獄って、これに近いんちゃうん?

色々と、予想できなかった事があったとはいえ、 家賃には勝てへんかった。 学校近辺に住んでいたら、もっとかかったであろう。

そんな寮では、寮長なる人がいて、色々仕切っている。 私より年下だったが、しっかりした人だった。 入った当初、寮にあるピンク電話から電話をするしかなく、 部屋にはテレビもなく、 洗濯機、冷蔵庫、キッチン、お風呂は共同で使い…という状態で、 寮に慣れるのに、とても時間がかかった。

TVなんかいらん!と思ってたのだ。 CDを聴けるものがあれば、十分!と思っていたのだ。

始めのうちは、学校にも慣れるのに時間がかかり、 あたふたしていたのだが、 私があたふたしている中、同期で入った男の子が、 寂しくて寂しくてホームシックにかかり、 実家へ帰ってしまったという話を聞いた。

それが、伝染しはじめた。

ほんとは、そんなんかかってる間がない程、 たくさんやらなきゃいけないものがあったのに、 何も手につかなくなってきたのだ。

学校は、私が何もしなければ、放っとかれる。 勉強したい人だけ、受け入れるというシステム。 競争の激しい学校の為、友達は半分友達ではなく、 みんながライバルとして見られている。 ホームシックの相談なんか、1人も受け付けてくれない感じ。 先生に相談したら、「京都へ帰りなさい」って言われそうやし…

あまりに寂しいので、実家に電話をした。 ピンク電話は、廊下にあるので、誰にも聞かれないように、 ヒソヒソ喋っていたが、そのうち、話の間にヒックヒックが 入ってきて、グスグス状態になった。 つられて母も泣いていた。 しかし、「辛いんやったら、いつでも帰ってくればいいんよ」 っていう言葉を聞き、いや、今帰ってしもたらアカン! 私、何しに東京へ出てきたんやったっけ? 上京する前の勢いがどっかへ行ってしもたなぁ~と 冷静に自分に言い聞かせ、歯をくいしばっていた。

間もなく、当時東京在住だった叔母に相談した所、寮に来てくれた。 「あんた、これじゃぁ、駄目よ~」 一言であった。トホホ 「TV位、買いなさい。音がなくてもいいのよ、 動く画面があるだけで、気持ちが違うから。小さい冷蔵庫は買ってあげるから」 と、買ってもらった。

そのTVが到着してからというもの、快適快適~ あのホームシックは、どこへやら??という状態になった。 叔母さまさまさまさまさまさまさま~位である。 (私のお姉ちゃん的存在なので、叔母さんって言うと怒られそうだが)

いろんな事に落ち着くまで、3ヶ月はかかった気がする。 寮に慣れてきた所で、寮長卒業~という事になり、 次期寮長に任命され、私が仕切る事になってしまうのである。

卒業する者がいるという事は、入学する者がいるのだ。 新しく入寮される前に、部屋を移ろう!と、 一番広くて、日当たりのいい部屋へ移動した。 それからというもの、快適極まりない。

当初、私の部屋だった一番狭い部屋に入った子は、 私と同じようにホームシックにかかってるんやないか?と思い、 ご親切に、新入生の部屋を訪問したりした。 しかし、意外にもホームシックって何?って顔をされ、 ショックを隠し切れないろくでなし~♪であった。 意外と、皆さんお強いのだ。

私自身、人見知りがなければ、 きっとホームシックにはなってなかっただろう。 私だって、そんな時代があったのだ。 そして、いよいよ卒業、私も寮を出る事になる。 次回をお楽しみに。

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