私は、上京するまで、標準語とはあまり縁が無かった。 学校の国語の時間は、もちろん関西のイントネーションで本を読む。 当たり前である。
ところが、高校生になって、大阪方面から来る友達が、 国語の本読みは、標準語のイントネーションやったのだ。 正直、気持ち悪かった。 普段喋ってるのは、コテコテの大阪の言葉である。 授業になると、急に標準語でかしこまるのである。 どうやら、その友達の通っていた中学校では、当たり前のようやったらしい。 変なの~
私は、TVやその友達から標準語なるものを聞いていたが、 自分では全く使った事がなかった。 何か恥ずかしいモノとして捉えていた。
京都で、ある披露宴の仕事を依頼され、 会場で、和やか~なムードで打ち合わせをしている時に、 恥ずかしい思いをした事がある。 確か、特殊な仕掛けをするとかで、会場のマネージャーさんと、 お客さんの要望以上に盛り上げよう!と、楽しんでいた。
このマネージャーさんは、東京の方で、京都の事はあまり知らない。 自ら楽しんで仕事をされてる様子が、ヒシヒシと伝わる。 こちらも気持ちよく仕事ができるってもんである。
そんな人に、ある時、面白いアイデアを出され、 私「ハハハッ!それ、笑けますね~!」と言うたら、 マネージャー「それは、方言だよね?」 私「あれ?って事は…笑かす?…」 マネージャー「いやいや、それも違うな」 私「標準語では何て言うんですか?」 マネージャー「君は、生粋なのか?」
こんなやり取りがあり、数分後、「笑える」という言葉を聞き、 とても不自然に感じたのだった。 「笑ける」って、何かコケてしまう程、可笑しいっていうイメージがある。 ガハハ系とでも言うておこう。 しかし「笑える」である。 今までさんざん笑ってたのに、素の顔で冷静に言わなきゃいけない感じがした。 ホホホ系というか、クスッ系というか?この違いを感じたのだった。 東京に対して、そういうイメージがあるんやな、きっと。 二の線というか何というか。
しかし、ちょっと恥ずかしい思いをしたと思い、その披露宴の間中、 「笑える」がグルグルし、帰りも歩きながら、連呼したのは言うまでもない。
そんな私が、上京し、エレクトーンの仕事の研修を受けていた時。 演奏や、アレンジの訓練のみならず、言葉の訓練もあった。 大阪でも、その仕事はあったのだが、私はどうしても東京がいいと思い、 上京した為、言葉も矯正させられた。
高校の頃に、少しお芝居の勉強をしたので、喋ろうと思えば、 喋れるはず…と思ってたのが、大間違い! 結構、私には過酷やった。 標準語にも京都の言葉にもならん言葉で、話してたからか?
何で、こんな思いしてまで、こんな事せんとアカンのやろ? アナウンサーじゃあるまいし。
と思っていたのだが、街や、店頭で演奏するので、 ちゃんとした言葉で話さないと、通じない。 アナウンサーみたいなもんである。 納得はしたものの、めちゃくちゃ苦労した。
それは、言葉だけではなかった。 話す内容が、関西人そのものやったのだ。 その頃は、すでに人前で話すのは億劫ではなく、ペラペラ何でも 喋っていたのだが、残念ながら、 東京のお上品な先生方には、合わなかったようだ。
忘れもしない、私は、年末ジャンボの話題を出したのだ。 クリスマスケーキだの、サンタクロースだの、 そんなメルヘンチックな話題は、好きではなかった。 私自身が、聞いていても楽しくないから。
しかし、まだ研修の身。 こういう時は、先生方のお耳に合わせるべきだった。 一緒に受けていた研修生は、「私も興味ある~」って言うてくれたが、 年上の先輩のような先生には、「そういう話題は、東京ではウケないわよ」 と言われ、話題作りからやり直し。
そして、何度も話題を作っては喋り…をくり返し、 「そういう話題は駄目」なんて言われるようになり、 次第に、意欲もなくなっていってしまった。
喋りに関しては、全く自分が出せなかったのだ。
これが原因で、しばらく人と喋るのが嫌やった。 何か、言葉を口にするのが、怖かったのだ。 研修中我慢して、仕事が始まれば、私のもんや~!とも思ったが、 どんどん嫌々モードになってしまう。 結局、演奏以外の事で、嫌々モードになってる私が、 行き詰まってしまい、辞退してしまった。
関西人がお嫌いだったようである。 いや、私が嫌われていたようである。 私が男なら、状況は変わっていたと思うが。 実に、特殊な世界である。
しかし、言葉は、重要である。 嫌味を言うのも言葉を使わないと、できない。 その一言を聞いた人が、言葉を失う事だってある。 逆に、その一言で、落ち込んでいた気持ちが、元気づけられたりするのだ。
言葉による攻撃で壁を作らず、人を元気づけたり、 私も元気になったりしたいものだ。
外国の言葉になると、話は違うが… 次回は、英語について語ってみよう。
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