中学2年まで英語が好きやった。 喋れたら、何かカッコイ~!のと、先生が好きやったから。 女性の先生だったが、それはそれはカッコイー先生やった。 夏のある日、外国人が教室を訪ねてきて、ペラペラ~ンと喋る喋る! 感動したのは、言うまでもない。 思わず、ポッカ~ンと口を開けたまま、見ていた。
そんな先生に影響され、ドンドン勉強していけば、私もいつか ペラペラ~ンと喋れたはずなのだが…
いろんな文法が出てくるうちに、ややこしくなってきて、 覚えきれなかった。そんな中、高校へ行き、全くわからなくなる。 授業毎に覚える単語が多過ぎる。 その授業だけの宿題なら、何とかなるかもしれんけど、 他にもあるのだ。 そんなん、いっぺんに頭に入るかぁ~~~~!!って訳で、 投げてしまった… 全然わかりましぇん~
一応、テスト前に、文章毎覚えるという強行手段を行ったが、 その時だけしか覚えてない。
そんな落ちこぼれやったのに、進路相談で、希望を言わなきゃならず、 上京を断念した私は、「通訳になりたい」とほざいた。 もちろん、担任ビックリである。
私自身は、「通訳になりたい」のではなく、 英語ができる演奏家になりたい~と思っていた。思うのはタダである。
学校での音楽の成績は、普通。英語は落ちこぼれ。 そんな私になれる訳ないと、先生は思うだろう。 しかし「そうですか、頑張って下さい」と、先生は事務的だった。
私は、英語がしゃべれるようになりたかった。 文法とかそういうのは、どうでもいい。 昔の日本人だって、学校へ行かなくても、喋れたんやから。 そういうノリやった。とにかく喋りたかった。
高校卒業後、いよいよ喋れるのを目標に毎日勉学に励む。 1週間通って、「何か違うなぁ~」と思いだす。 ビジネス学校だったのだ。 タイプとかペン字とか、秘書検定、商業英語他、私にとってはどうでも よさそうな物ばかり。でも、英会話の授業は、楽しかった。 「何か違うなあ~」とは思いつつ、いろんな資格がとれるので、 それはそれで頑張った。お陰さまで、在学中にたくさん資格を取った。 いずれ、役に立つ日が来るかもしれん。と。
大分、耳が英語に慣れてきた頃、カナダからの客人を京都で迎える事になった。 親戚のおばちゃん経由のお話だった。 私が、それ程喋れる訳ではない事を、予め話しておき、妹と二人で 京都案内をさせてもらった。
ここで、私は全く喋れない事に気付く。 普通なら、もっとペラペラ何か話してるはずなのだが、他愛もない話さえ できなかった。立て看板を見れば、一応の説明が英語でも書かれており、 こちらが、話す事もなかったのだ。 客人は、ご夫婦と日本に留学に来ている若者の3人。どうやら親戚同士らしい。 この留学生のお陰で、言葉の橋渡しをしてもらった。 意味な~いやん!
重たい辞書を鞄に入れ、それを開ける事もなく、ひたすらテクテク歩いた。 何ケ所か回り、ホテルの方へ案内した。 ひぃ~めっちゃ疲れたわ~と言うと、若者が夫婦に訳して喋りそうなので、 何も言わず。ただ妹と目を合わすだけ。 チェックインをしてはる最中、コソコソっと 妹「なぁ?帰っていいんやろか?放ったらかしやなぁ?」 私「そうやなぁ?でも、帰るんやったら、何か言わんと…」 妹「こっちが英語できひんからって、態度悪いなぁ~あの人達」 私「ま、そう言わんと。もっとできると思ってはったんやろ」 こんなやりとりがあり、
「Come in」と部屋に呼ばれてしまった。 ツインの部屋に、全員が入り、ちょっとホッと一息ついた。 すると、ウチらの前で、夫婦と若者は、ペラペラ喋りだした。 ここで、びっくりしたのは私。 今まで、言うてはる事がわかりにくかったのに、この時、明確に わかったのだ。
若者が、私と妹へ「お礼」をしなきゃいけないって話をしていた。 夫婦は、英語もろくに喋れへん、案内すら満足にできひん人に なんで「お礼」をしなきゃいけないのか?って、言うてる。 これは、日本の風習なんだと説明している若者。 しかし、夫婦は「お礼」する程の事をしてもらってないと言う。 1日付き合ってくれたじゃないか~!と言うてくれる若者。
この辺りで、ほんまに帰りたくなった。 お礼なんていらんから、「お疲れさまでした!」とか言うて帰ればよかった。 とても居心地が悪い。あぁ、英語でペラペラ喋ればわからんと思ってるのね~ わかるぞ~この位…と思いつつ、わかるのでず~っと聞いていた。
話は次第に、「お礼」をするには、何がいいか?に話題は進んでいる。 あちら様は、かなり困惑しているようやった。 何もいらないです。って言えばいいのに、もう言葉が出ない。 話を聞き過ぎてしまった。
結局、若者の鞄から、カナダのピンバッチをもらい、 「サンキュー」とだけ残し、家路についた。 なんとも後味の悪い京都案内だった。
後日、2年に進級する前に英会話の先生との面談があった。 アメリカ人である。ほとんど日本語が喋れない先生だった。 なので、片手に辞書を持ち、先生の質問に答えるという面談だった。
私は、こういうのがしたい!と話をすると、 「ここに居ては、ダメ!英語だけの空間にいなきゃだめ!」と言われ、 それはもっともだ!と思い、学校は1年でやめた。 この先生にずっとついてれば、喋れたのに…
ハワイへ行った時も、とりあえず英語!だったが、 何かにつけて反応する時、「オォ~!」っていう大袈裟な所だけ身につけ、 ちっともアメリカナイズされずに、帰国したのだった。
以来、まだめげずに英語とは戦っている。 どうにかこうにか、喋りたいのだ。 せめて、外国のミュージシャンのステージでのお話位は、理解したい。 笑いについていけない時がある。 アホも程々にしたいこのごろである。
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