大きく見ると、そんなに変化はないはず。 しかし、周りの人から見ると、私は段階を経て、変化しているらしい。 幼稚園の頃は、全然覚えてない。 小学校の6年間は、消極的かつ内向的、 何事にも及び腰、いざっ!という時に 全くパワーの出せない弱虫なガキんちょやった。
大体、周りの友達がしっかりしすぎていたのだ。 お姉ちゃんやお兄ちゃんのいる友達が多かった為、 怖いもんなしの子ばっかり。 私はと言えば、私自身がお姉ちゃんなので、怖がり。 いつもリーダーシップを取られてたので、言いなりになってた。 また、それが楽チンでもあった。
何事にもガンガンいかなかった私は、その弱味につけこまれ、 よくいじめられた。 不思議なもので、さんざんいじめられてたのに、 次の日にはケロッとしてたのだ。 現在では考えられないかもしれない。 でも、いじめってそんなものやないかなぁ??
幼稚園の頃から、人一倍背が高かったのに、弱っちぃ私。 なので、つけられたアダ名は、「電信棒」だった。 そう、「電信柱」ではなく、「電信棒」なのだ。 ガッチリしてないのだ。
高学年になって、私は、著しく成長を遂げた。 背だけではない。なぜか、急に足が速くなったのだ。 それまで、みんなの後ろを走っていて、 ビリとかビリから2番目やったのに、 急に1番速くなってた。いきなり、本気を出したのか?
それ以来、運動会のただ走るだけの競技は、選手として頑張った。 ただ走るだけに限定される。 障害物が伴うと、どんくさいので、やっぱりビリになってしまうのだ。
そんな目立った成長が見られたある時期、反抗期になる。 家でも、ちょっとした不満から、とてもヒステリックになってた。 それが、学校でもヒステリックを起こすようになった。
言い合いには負けるのだが、一応、私も反撃するようになる。 最終的には、正当な意見を言うてる相手の勝利になるのだが。 勝ち負けはどうでもよかった。 このメラメラした気持ちをぶつける場所が欲しかったようだ。
以来、「ちと怖い吉田さん」と見られるようになってしまう。
そんな「ちと怖い吉田さん」のまま、中学校へ入学する。 私の反抗期は、他の人より早かったようだ。
中学校へ入った所で、小学校からの友達は、そのまま一緒なので、 基本的には「大人しい吉田さん」のまま3年間を過ごした。 思春期ってのは、ちょっと自分を大きく見せたくなる年頃 かもしれない。 弱い自分を見せたくなかったので、 角ばっかりのカチンコチンの人間だった。
友達付き合いは、いい方で、いろんなタイプの友達がいた。 その頃から、ちょっとずつ「よっちゃん、変な人~」って 言われるようになる。 この変な人~って言われて、悲しくなかった。 他の人と私は、考え方が少し違うな~って思ってたので、 納得したのだった。
「変なよっちゃん」のまま、高校へ入学する。 その頃は、「ちと怖い吉田さん」は、薄れてきていたはずである。 もう、反抗期は終了を迎えていたのだろうか???
1年の秋に、クラスの子が、「お店やるので、学校辞めます~」って 去っていった。変なのは、私だけじゃなかった。 しかし、その子は、高校1年ですでに人生設計がなされていたのだ。 素晴らしい。この思いっきりの良さが、うらやましかった。
高校3年間は、遊びに遊んだ。 女子高やったせいか、外からの目をとても意識するようになる。 可愛い女子高生をひたすら目指していた。 しかし、食欲旺盛な私は、ブクブクムチムチやったので、 可愛い感じはない。
この頃に出逢った友達のお陰で、今まで出してなかった自分が ニョロニョロ出てきたのである。 一言で言えば、とても派手好きになった。 人の陰にいるなんて、面白くない。 もっと前に出たいって思うようになる。 だからって、どんな形でもいいから、 目立ちたいっていうのではなかった。
ウチの方の言葉で言うと、「ええ格好しぃ」やった。 こっちの言葉で言うと…何て言うんやろ?
この気持ちは、私の中になかったものではない。 ずっと、憧れていて、中に秘めていたものやった。 何をやっていたか?は、別に書くとして、この時期から、 今の私の基盤が作られていったように思う。
「変なよっちゃん」は、いつの日からか? 「天然なよしみちゃん」に変わった。 この「天然」ってのは、どうも理解しがたい。 自覚がないので、これはわからん。
たくさんの人と関わって、いろんな事を聞いたり、見たり、 知ったりして、少しずつ、私の中の「角」がなくなってきた。 しかし、丸くはならないようだ。 どっか尖ってるのだ。
性格自体を変えるのは、とても大変やと思う。 でも、友達や周りの人によって、潜っていた部分を出す事は 可能である。 私は、今まで関わってきた友達に感謝している。 喧嘩したり、イジメられたり、イジメ返したり、色々あったけど、 言いたい事を言い合える友達と一緒にいるのが、とても幸せなのだ。 私は、友達が大好きである。 また、新しい一面が出てくるのかもしれない。
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